何かあっても「LET IT BE」って言えたらいいな。
出来たらニカッ! って笑ってさ。
そんな風に出来ないこともあるって、
分かってるからこそ。

言葉が無いと伝えられないけど、
言葉だけじゃ伝わらないものはあるよ。
足りなくても伝わらないけどさ。

伝えたいことが今は伝わらないことはある。
永遠に伝わらないこともある。

それがとても悲しい時もあるし、
それが何さと思う時もある。

「ただそれだけのこと」って笑って言えたらいいのにね。
 

なでなで。

2005年6月25日 寝言
リンクして下さる方の何人かが、日記をしばらくお休みするという。

最近ではあまり日記も書かず、秘密メモも書かず、でも日記だけはこっそりと読ませて頂いているだけの遊上なので寂しいけど、仕方が無いよなあと思って居ます。

書いて少しでもすっきりするなら、誰が何を思ったって書いたらいいと思う。だってその為の日記だもの。
web上に書いているということは、誰かに指を指されることもあるということだけど、自分がそんなの関係ないって思えばそれだけのことだもの。辛いかもしれないけれど。幸い、Diary Note には秘密メモという特性もあるのだし。

だけど、書いていて悲しいなあとか苦しいなあとか、自分を好きになれないなら、書くことがちょっと疲れたなと思うなら、好きなだけ休んだらいいと思います。

上手く書けなくてごめんなさい。
もっといいことや、気の利いたことを書けたらいいけれど、それが出来ないのでモニタの向こうから頭ナデナデして、ギューってハグしたい気持ちを送ります。それはしばらくお休みする人だけじゃなくて、この日記を読んでくれた人たちに対しても。
「ちょっと疲れたなあ」って今は思っても、何時かそれを「あの時は辛かったなあ、でも今幸せだなあ」って、少しでも思える日が来ますように。

自分への祈りも込めて。
 

ENFP型。

2005年6月14日 寝言
タイプ別性格判断をやってみました。
http://www32.ocn.ne.jp/~emina/
 
型に嵌められるのは嫌うくせに、自分を表す言葉には弱いなあ。
記号だけを並べていけば、何時か自分を説明しきれるかしら。
私は誰かに自分を説明したいのかな。

うん、説明したくなるな。
だから、web日記なんて書いているんだろうな。

 
■ENFP型:余計な苦労をかってでる■

活動的、熱心、人扱いが非常にうまい、積極的、社交的といわれる。
E型、N型、F型、P型があいまって、さまざまな人や出来事や課題をーしばしば同時にー扱う並外れた能力を発揮する。

熱意を持って人生を前向きに生きているので、胸がわくわくするようなアイデアや大儀を掲げると、支援してくれる人が難なく集まってくる。

惜しむらくは、ENTP型と同じで、何かをはじめても、最後までやり遂げないことが多い、だから、カリスマ性のあるENFP型に惹かれて集まった人たちも、組織力や遂行力のなさに、次第にフラストレーションを起こす。

愛想がいい、喜ばせたがる、直感的、他人を気にするといったENFP型の性格はどちらかというと女性的される性格なので、ENFP型の男性は、ありのままに「ふるまう」と、既成の男性社会からはみだしてしまう。

皮肉なことに、それを補おうとするあまりに、かえってENFP型らしくない行動をとってしまいがちで、たとえば張り合ったり、ひどく理屈っぽくなったりする。

本当は好きでもないのに、一対一でするスポーツや「タフな」活動にのめりこみかねない。

ENFP型は人を類型化したり、「枠にはめる」のを嫌うし、自分も枠にはめられたがらない。自分の多面的な性格を好ましく思っている。

ちょっとその気になるだけで「人に合わせる」ことができるし、相手の考え方や感情に共感できるが、うっかりすると自分のアイデンティティーを失いかねない。

人の個性や問題を難なく受け入れられるすばらしい資質は、別の人には頼りになり懐が深いと見られるが、本人は自分が何物で、なにをすべきかわからなくてとまどってしまう。

ENFP型はくつろぐのが苦手である。急に思い立って何かを始め、興が乗ってくると、時間の観念がなくなり、疲れを忘れる。とことん疲れるまで熱中する。

だから、時には体調を犠牲にしてまで、休みを取らない。
 
 
 
 
■親子関係

ENFP型の親にとって、家庭はおもしろくて創造的な探求ができる遊びの場である。
家族一人ひとりの個性や違いを認めてやらねばならないと考える。家庭の雑事も遊びにして、やりがいのあるものにしようとする。

やらなければいけないことがあると、(退屈なことだったら)後回しにするか、(おもしろそうだったら)みんなでやるべきだとする。

ENFP型の家は、近所の人や友人たちのたまり場になる。

子どもがENFP型でない場合は、にぎやかな社交好きと誤解するだけでなく、そんな親の子どもっぽい行動に困惑するか反発する。

ENFP型の子どもは、親にとって楽しみだが、ときに心身ともに疲れさせる存在になることがある。

身のまわりのものはなんでも遊びの道貝になり、その日によって、なりきる人物が違う。

たとえば、立ててある掃除機をラジオのマイクロフォンに見立てて、ディスク・ジョッキーになりきる。
翌日は、木の上に小屋を作って、建築家や塗装屋やインテリア・デザイナーになる。
それを親にほめたり手伝ってほしいとせがむので、子どもは楽しく遊んでいるのだが、親にしてみればあわただしい思いをさせられる。

勉強も、ほかのことと同じで、創造的な冒険であり、うまくやれたらほめてもらいたがる。

人のご機嫌取りがうまい。教師や級友に好かれたいし、好きになりたいと思う。

ENF型なので勉強はよくできるが、おもしろいことにテスト嫌いである。
授業中はよくできるし、教科書もよく理解できる生徒でも、「正しい」答えが一つしかない客観テストを苦手とする。

そのかわり、自分の知識をまとめて書けばよい作文のテストは得意である。
 

 
熱意を持って前向きに生きたことは無いし勉強は今でも大嫌いだけど、
確かにテストは大嫌いだった。特に数学。
どうしてxyzを使えば答えが出せるのかさっぱり分からない。
そもそもどうしてその記号を使うと、
答えが導かれるようになるのか知りたい。

>やらなければいけないことがあると、(退屈なことだったら)後回しにするか、
>(おもしろそうだったら)みんなでやるべきだとする。

この括弧の部分がとても可笑しくて声に出して笑ってしまった。
友人たちが読んだら、ニヤリと笑うと思う。
情熱を持ち合わせているかは分からないけれど、
楽しい時の瞬発力だけは妙にあると思う。

これだけ楽しんでも、
違うなあと思ったり足りないと思ったりする。
でもきっと、すべてを言い表されたらきっと怖い。

ラジオから、ジャック・ジョンソンが聴こえる。
ああ、ハワイへ帰りたいなあ。
 

つらり。

2005年6月5日 寝言
いくら自分の周りに価値のある人が沢山居ようと、その人を持ち上げる振りをして「自分は凄い」と自分に陶酔しているのを見るのは居た堪れないものだ。それが例え、会ったことの無い人でも。会ったことの有る人に至っては「勘弁して」とのた打ち回りたくなるくらい、恥ずかしく感じる。
そういうのに限って、自分のことは卑下したりしてな。これは自分が感じることであって、他人はそうは思わないかもしれないとか前置きしてな。それで自分への矛先が逸れるとでも思ってるのかね。

いくら自分の親しい人だとて、それは自分じゃないのだ。自分がしたことではないのだ。自分が掴み取ったことだけが、全てじゃないのか。
大体、それだとて他人様に無闇に誇っていたら、唯のバカヤロ様だと遊上は思う。

本当に凄い人は、サラリとした顔で何気ない振りで、でもとんでもないことを仕出かしたり考えたりやっちゃったりしているのだ。それまた、頭抱えたくなるような突飛なことだったりして困ったり口が開きっぱなしになったりするもんですが。

本当に凄い人って書いたけど、そもそもそんな人は本当に居るのかね。と思ったり。人間の本質として。朝起きて会社行って仕事して…っていう生活をして居る人も、何もやる気がしなくぼーっと家でネットばかりして居る人も、生きているだけですげえんじゃねえのかねとかそういうことをブツブツ考え出すと止まらないそろそろ梅雨の夕暮れ。
遊上と遊上以外の人たちが同じ人ではないように、唯の個性、資質の違いでしか無いと私は思う。ただ、己と比較をしてすげえなあと思ったり馬鹿だなあと思ったりさ。そんだけなんじゃないのかねと。

他人に指差すからには、他人からも指差される覚悟があるんだろうな。
そういう遊上の背にも、誰かの指が刺さっている。きっと。
 

歓送迎会。

2004年8月26日 寝言
が、ありまして。
ビールをかなり飲まされ、ちょっとふら腐乱。
 
昼間に相当不穏当な日記を書きました。
で、書いた後に思ったのですが。
もしこれが癌に関する記事では無かったら、
果たして遊上は反応したでしょうか?
 
少し心がギュッと硬くなるくらいで、
こんなに怒った日記なんて書かなかったかもしれない。
それって、あの記事の教員や校長とどう違うんだろう。
自分の痛みにだけ過敏で、それを発散させる為に書く日記。

人を非難することはとても簡単なのに、
自分がしていることは何と矮小で卑劣なことか。

自己満足の為の偽善を振りかざしている方が、まだましだ。
 

立夏。

2004年5月5日 寝言
夏のはじまる日。

夏の終わり、秋の終わり、冬の終わり
というのは割合はっきりしているように思う。
はっきりというか、分かりやすいというか。
けれど、春の終わりはいつの間にか過ぎていくような気がする。
暦の上の季節は、実際に過ぎていく季節とずれていることは百も承知で。

優しい桜の淡い色に紛れて春はいつの間にか、
暴力的なほど緑に燃えて過ぎ去っていく。

春は、朝に似ている。

始まりの季節。
目覚めの時。

眩しい午後を越えて。
淡い夕暮れを過ぎて。
静かに夜がやってくる。

朝、目が覚めるたびに悲しくなる。
春が来るたび、悲しくなる。

一日の始まり。
目覚めの季節。

生きる為に、生きる。

とても簡単なことなのに、とても難しい。
皆していることなのに、どうしてそれが苦しいなんて思うのか。
朝の清しい空気が苦しい。
燃える新緑が苦しい。

苦しくともいつかは夜が来るし、
朝に目が覚める気持ちよさを知っているのに。

今日から夏。
暦の上だけでも。

それだけで少し、息がしやすい。
 

膿。

2004年4月30日 寝言
知らない内に我慢していたのかもしれない。

父の再婚相手。
その娘。
弟の結婚。

母の不在。

しんどいと思うことさえしんどくて、
何も考えないようにしていた。

何も言わなければ、皆幸せなのだから。
私だけが悲しい訳では無いのだから。
生きている人には、生きている限り幸せになる権利があるのだから。

でも、考えてしまう。

考えてしまえば口に出したくもなるけれど、
でもそれはきっと、皆を傷付ける言葉で。

傷付けたくは無い。
自分が物の分からぬ人と思われるのも嫌で。

だとしたら、思い出さなければいい。
思い出せば考えてしまうし、
考えてしまえば言葉にしたくなるのだから。
見なければそれは無かったこと。
自分の心が見えなければいい。

そんな風に、楽な方へ自ら進んでいって。
――それは、我慢とは言わないな。

先日、どす黒い日記を書いたら少しだけすっきりしていた。
心配をかけた人たちにはとても申し訳無いのだけれど。

見ない振りをしていても傷口はやっぱり傷口だし、
治療もしないで放って置けば膿みもするのだと知った。
出して良かったと思う。
膿を取り除いても痛みはすぐには引かないし、
傷口が綺麗に治るとは限らないけれど。
膿が全て出切ったかどうかも分からないけれど。

多分この痛みは、生きている限り続く。
こうして何処かで言葉にして、
胸の痞えをほんの少し、取り除くことしか出来ない。
引き摺り続けることに迷い、吹っ切ることも出来ないままで。

今はそういう風にしか生きられない。

夕餉の支度をしていたら、
TVからアンパンマンマーチが聞こえてきた。
 
そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも

いつか私も、こんな言葉を言えるようになりたい。
そう思いながら、柔らかなキャベツを刻み続けた。
玉葱じゃないのに、涙で視界を歪ませて。
 
いつまでもアンパンマンマーチを歌った。
 

西瓜に塩。

2004年3月16日 寝言
一人じゃないって知っている。
だからこそ、一人だと。
息をすることを疑わずに生きることが、
生き続けるということなのかもしれない。

もうすぐ三回忌。

手紙。

2004年2月7日 寝言
手紙を書くとして。
でもそれは何処にも届かない手紙。

文字を綴る。

筆で綴ることなく、指先から流れ出る言葉。
書いたという実感が曖昧な言葉。
「書く」と「話す」の境界にある言葉。
ぼやけた輪郭の向こうにある言葉。
電子の海に埋もれる言葉。

きっと、もっと届かない。

手放す。

2003年12月30日 寝言
別れが、いつも寂しい。
 
「じゃあね」って別れる瞬間。
恋人でも友達でも。
例え、またすぐに会えると分かっている人だろうと。
あの瞬間には、どうしても慣れない。

笑って、じゃあねって言った。

またね。
また会おうね。

寂しいけれど。

手を放した瞬間、すうっと通っていく風。
さっきまで温かかったのに。
さっきまで、隣で笑っていたのに。

そう思うけど。
 
寂しいと思うのは楽しかったからだし、
手を放すのは、また繋ぐために。

何より、信じているから。

言葉にはしないけれど。
普段、思いもしないことだけど。

また会いたいと願う気持ちとか。
また会えると思う気持ちとか。
そんな風に。

信じて。

当たり前に水を飲むように、
当たり前のように手を放す。
 
またねって、笑って。

Let’s,

2003年12月28日 寝言
Get In My Life.
 
遊上は何もしない。
何かをして失望するくらいなら。
期待して裏切られたら。
それが恐いから、いつも黙る。

ぺらぺらとどうでもいいことは話すくせに、
大事なことだけは話さない。

いつまでも言えずにいた言葉は胸の中に溜まり、腐る。
堪えきれず零す言葉は、だからいつも腐っている。

何だそれ。
 
そんな自分が嫌になったらしい。
らしいというのは、
あの時の自分がどうしてそんなことを言ったのか分からないから。
多分、腐り落ちる前にきちんと伝えたかったのだと思う。
 
「出会った相手は、相手ではなくて自分」
仕事をしていて、こんな言葉を聞いた。

自分の考える他人。
確かめもせず、ただ思うだけの。
それは他人じゃなくて自分自身だ。
 
失望するかもしれない。
期待は裏切られるかもしれない。
でも、違うかもしれない。
すべては自分自身から来ることで。

疑えば、疑わしく見える。
信じなければ、信じられない人に思える。

信じたら。

いい歳して、そんなことさえ難しいなんて。
自分にがっかりするけれど。でも。

今日は腐らない言葉を渡せた。
明日も腐らない気持ちを持っていたい。

大切にし過ぎず、仕舞い込みず。
綺麗な水を渡すような気持ちで、ただ。
にっこりと笑って。

惜しむことなく。

Winter Solstice.

2003年12月23日 寝言
win・ter [wintr]
━━ n., a. 冬(の); 晩年; 逆境; ((数詞を伴って)) …歳.
━━ vi. 冬を過ごす, 避寒する ((at, in)).
━━ vt. 冬囲いする, 越冬させる.

sol・stice [slstis/--]
━━ n. 【天文】至点.
 
してん 0 【至点】
夏至点と冬至点。

→分点

ぶんてん 1 【分点】
天球上で、赤道と黄道との交点。すなわち春分点と秋分点。

――インフォシーク大辞林(国語辞典)より
 
無断転載しまくってます。 

かっこつけて転載したところで平たく言や、冬至っつーだけのことで。
しかも冬至、昨日だし。終わっとるやん。
 
理由はあるけど、意味は無いこと。

英語どころか日本語にさえ不自由している遊上に
細かいこた分かりませんが、
Solsticeって言葉が何か奇麗だなーなんて思えて。
天の子午線なんて言葉も好きです。
緯度とか経度とか。
北回帰線南回帰線。

区切りのない惑星に線を引き、
区切りのない空に線を引く。

意味は無いけど、だから。

自戒。

2003年12月13日 寝言
言い訳をするな。
 
楽しかった。
楽しかったから。

考えるな。
考えろ。

振り返るな。
振り返れ。
 
私はいつも言い訳ばかり。

夜を越える力。

2003年11月17日 寝言
待ち合わせをした。
 
相手はアキラなので色気も何も。
ただ、晩ご飯を一緒に食べようということで待ち合わせをした。

アキラの迎えを待つ間、
駅から少し離れた場所で弟からの電話に出ながらぼうっとしていたら、
自転車で脇をすり抜けていこうとしていた男性が振り向いた。
見覚えは無い。

「おー、久しぶりー」

遊上以外の誰かに言ったのだろうと気にせず電話を続けていたら、
彼はしつこく声をかけてきた。

「遊上、遊上、俺俺」
「あ―――――――――― !!!!!」

小学校の時の同級生であった。

嬉しさのあまり電話を途中でブチ切り、
少し後に到着したアキラをほったらかして、
互いの近況を語り合った。(最低)

通りすがりで、暗くて、後ろ姿だったのによくわかったなあ。
見覚えが無いと確信しちゃってたよ遊上。
気付いて貰えて嬉しかったけど、それは言わないでおいた。
すっごく怪しんでしまったことも。

「俺、いま落ち着いてるから」

と、どう見てもやばくなりつつある生え際を向かい風に向けながら、
彼が偉そうに胸を張ったのがおかしかった。
そしてどうせ私は落ち着いてないよと答えておいた。

約束はしなかった。

「今度飲もう」とか、そういうこと。
またいつか会うだろうし、
その時はきっとまたこんな風に話すのだろうから。

いつになるかわからない「またね」をお互い言い合って別れた。

幼馴染みとはこんな感覚なのだろうか。
懐かしさと嬉しさと、少しの寂しさを抱えつつ振り返ったら、
アキラが道ばたでニヒルに煙草を吹かして待っていた。カッコイー。

生きるのって、楽しいなあ。
 
ふと、そんな言葉が胸に落ちた。
しんどいし、嫌になることも多いけど。
こんなことがあるから、夜を越えていける。

朝を迎えられる。
改めてしみじみと思った。
 
いつも頭でっかちだから、偶には考えないで行動しようと思ったのに。
考えても考えなくても、結果は一緒だったと思うけど。
結果というかいまの経過具合がというか。
 
忘れないでいたい。

素直になること。
それ以外は、何もいらないこと。
ものはいつかは壊れること。
同じものは、何ひとつ無いということ。
愛着と執着の違い。

それを心に留めておける自分でありますように。

感情に流されるのではなく、
自分がしたいこと、
自分が思うことを成し遂げられますように。

その力が自分にありますように。

定義。

2003年9月30日 寝言
幸・不幸の定義は誰にも出来ない。自分さえも。
 
「人生はろくでもない」と不貞腐れ乍ら病床についていたら、
明け方前にやさしい気遣いの言葉が届いた。
それがうれしく、早く治りたいと思った。

大好きな人達と大好きな店で食事をした。
何処を向いても大好きな人達ばかりで、
興奮するあまり脳味噌が沸騰するかと思った。

幸せだ、と思った。

自分が幸せだということを私は知っている。
そしてその幸せの合間に悲しくなる自分に悲しくなることもある。

悲しいと思う側から自分が幸福である事を思い出す。
幸福であると思う側から悲しくなる、
いまの幸せだけでは足りないという自分の貪欲さに呆れる。

どちらか一方に定義付けしてしまうからだろう。

幸せなら幸せだと。
悲しいなら悲しいと。

他の感情が混ざり込んでしまうことに、
何か罪悪感でも感じているのだろうか。
自分ではわからない。
ただ、誰かに言い訳したい気持ちを感じる。
中途半端に見えるだろう自分を、説明したいのだ。誰かに。

幸福で悲しいし、悲しく幸福であるだけなのに。
「田舎はええよ」と言われるたびに、困っていた。
 
遊上は浅草生まれのチロリン村育ち。
「チロリン村」とは、友人達がつけた名前だ。
あまりにも何も無いので冗談半分に付けられた。
(てことは多分、半分本気だ)
物心ついてからこの方ずっと住んでいる。
つまり生まれ故郷は浅草で、
育ったのはチロリン村ということになる。

けれど浅草に対して郷愁を感じることは無い。

祖父母は物心つく前に亡くなり、
母が昔住んでいたという家はとうに叔父の家となり。

親戚付き合いという概念そのものがとても希薄な母一族にとって、
親族の家へ遊びに行くという風習は無く。
(お陰で今に至るまで親族付き合いというものがよくわからない)

だからたまに訪れるその街は、
いつ行っても何処か観光気分が抜けない。

「東京は嫌やな、空気が汚いし人が多過ぎる」

言われるたび、悲しい気持ちになった。
確かに排気ガスの匂いでくらくらするし、人が多過ぎる。しかし。

「そう言われても、ここで育ったし」
…としか答えようが無かった。

遊上は横浜の端っこで子供時代を過ごし、
思春期を東京の真ん中の学校で見送った。
しかも遊上には、故郷という気持ちがよくわからないのだ。

夕方、新興住宅地を歩く。

同じような家が並ぶ。
真新しい家ばかりが並ぶ。
遊上は今でも両隣の人の名前を覚えていない。

テクテク歩く。

小さい子供とよくすれ違う。
道路の両側には、まだ若い花水木が植えられている。

オパールのような夕暮れ。

薄青い空に、ピンク色の雲がたなびく。
空気がオレンジに染まる。

夕焼けは、空気中の埃が無いと見られないのだという。
だとしたら東京(及びその近郊)は、
とても綺麗な夕焼けが見られる街なのだろう。

ま、いっか。
 
ここより綺麗なところはたくさんある。
空気が綺麗で、空が広くて、緑に溢れて、人が多過ぎなくて。

でもここが、遊上の故郷。

光の速さで。

2003年9月14日 寝言
歩きながら考えたこと。

光年

三月十日、満月

死んだ人からの手紙
ただいまフジテレビで放映中。
SMAP×SMAPの特集だそうです。
 
遊上だったら。
 
友達に会いに行くな。
弟とお父さんに、お母さんが得意だった料理を作って出かける。
死ぬことは知らせないで、いきなり遊びに行く。
顔を見たらヒヒヒって笑って、じゃあねって別れる。
距離的に会えない友達には、いつもみたいな普通のメールを送るでしょう。
 
それからいつも行く神保町のイタメシ屋さんでご飯食べて、
家に帰って、仏壇の隣にあるお母さんの骨の傍で眠る。
一人で死にたい。
 
手紙を書くと思う。弟とお父さんに。

多分、ありがとうくらいしか書けないと思う。
でもきっと、ありがとうが一番言いたいんだと思う。
 
そして出来たら、明け方に死にたい。
 
死ぬのは怖くない。
死なれるのが怖い。

怖いのは、もう会えないこと。
「いつか」や「今度」と二度と思えないこと。
 
残されるより、残していきたいんだなと気付いた。

「さようなら」を言われるより、
「さようなら」と言いたい。
 
 
 
 
*23:47 追記*
 
あちこちの日記で
『たーなーばーたーさーらさらー』と書いてありました。
 
本気なのでしょうか。

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