悶絶。

2005年5月19日 時事ニュース
2本足で立つレッサーパンダの風太君 千葉動物公園
http://www.asahi.com/life/update/0519/004.html?ts

この微妙に前に出た頭のバランス、歩幅、前足の全てが遊上を狂わせる…ッ!
 
08月26日付 日刊スポーツの報道「母親ががんの生徒は誰?校長が不適切発言」へのコメント:
 
死ね。
 
誰かを教えることも誰かから学ぶのも
生きていることさえお前等には過ぎた幸福だアホンダラ。
 
…と不穏当なことを書き散らかすだけでは何なので。
 
どうしてこんなことが言えるのかと、とても不思議になります。
体罰を与えた教員が、あまりにも何も考えていない発言をした校長が、
同じようなことをされたり言われたりしたらどんな気持ちになるのか。
そんな風に考えることの出来る想像力が、彼らには無いのでしょう。
訓告処分されたり解雇されたとしてもその想像力が無ければ、
また何時か何処かで誰かを傷付けることになるでしょう。
どうして自分が、責めを負ったか本当には分からないまま。

心を麻痺させた人が多いのだと思います。自分も含めて。
 
通勤電車の中乗りこむことだけに精一杯で、
他人の存在が疎ましくて仕方の無い朝。
誰かの鞄の角が硬くて痛いのに、
力一杯押しつけられて苦しかったり。
ふわふわのパーマのかかった女性の髪の毛が眼前にあって、
くすぐったいやら痒いやらで不快だったり。

時に舌打ちしたり、押し返したり除けたりしてどうにかやり過ごす。

自分だけじゃない。
自分のせいじゃない。

言い聞かせて、自分本意になることを正当化する。
周りのことを考えたって、誰も自分のことを考えてはくれないし。
他人に思いを馳せても、しんどくなるだけで。

電車に限らず、どんな所でも。
街中でも、学校でも、何処だって。
他人とすれ違う所なら何処でだってあること。
自分が傷付かないように、感覚を麻痺させている。
無神経なことをされても平気なように。

そんなことを毎日積み重ねて。
その毎日が何年にもなって。
 
こんな風に思う人ばかりじゃないと思うけど。
大抵の人がそんな風に、
少しずつ心無く過ごしている気がします。
そのことに対して何の疑問も持たず生きていると、
誰にも何も言われずに生きてしまうと、
この教員や校長のような人になるのではないでしょうか。
 
そしてそれは冒頭で「死ね」と暴言を吐いた遊上にも、
負うべき責任があるということなのではないでしょうか。
 

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