つらり。

2005年6月5日 寝言
いくら自分の周りに価値のある人が沢山居ようと、その人を持ち上げる振りをして「自分は凄い」と自分に陶酔しているのを見るのは居た堪れないものだ。それが例え、会ったことの無い人でも。会ったことの有る人に至っては「勘弁して」とのた打ち回りたくなるくらい、恥ずかしく感じる。
そういうのに限って、自分のことは卑下したりしてな。これは自分が感じることであって、他人はそうは思わないかもしれないとか前置きしてな。それで自分への矛先が逸れるとでも思ってるのかね。

いくら自分の親しい人だとて、それは自分じゃないのだ。自分がしたことではないのだ。自分が掴み取ったことだけが、全てじゃないのか。
大体、それだとて他人様に無闇に誇っていたら、唯のバカヤロ様だと遊上は思う。

本当に凄い人は、サラリとした顔で何気ない振りで、でもとんでもないことを仕出かしたり考えたりやっちゃったりしているのだ。それまた、頭抱えたくなるような突飛なことだったりして困ったり口が開きっぱなしになったりするもんですが。

本当に凄い人って書いたけど、そもそもそんな人は本当に居るのかね。と思ったり。人間の本質として。朝起きて会社行って仕事して…っていう生活をして居る人も、何もやる気がしなくぼーっと家でネットばかりして居る人も、生きているだけですげえんじゃねえのかねとかそういうことをブツブツ考え出すと止まらないそろそろ梅雨の夕暮れ。
遊上と遊上以外の人たちが同じ人ではないように、唯の個性、資質の違いでしか無いと私は思う。ただ、己と比較をしてすげえなあと思ったり馬鹿だなあと思ったりさ。そんだけなんじゃないのかねと。

他人に指差すからには、他人からも指差される覚悟があるんだろうな。
そういう遊上の背にも、誰かの指が刺さっている。きっと。
 

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