遠くにありて思うもの。
2003年9月16日 寝言「田舎はええよ」と言われるたびに、困っていた。
遊上は浅草生まれのチロリン村育ち。
「チロリン村」とは、友人達がつけた名前だ。
あまりにも何も無いので冗談半分に付けられた。
(てことは多分、半分本気だ)
物心ついてからこの方ずっと住んでいる。
つまり生まれ故郷は浅草で、
育ったのはチロリン村ということになる。
けれど浅草に対して郷愁を感じることは無い。
祖父母は物心つく前に亡くなり、
母が昔住んでいたという家はとうに叔父の家となり。
親戚付き合いという概念そのものがとても希薄な母一族にとって、
親族の家へ遊びに行くという風習は無く。
(お陰で今に至るまで親族付き合いというものがよくわからない)
だからたまに訪れるその街は、
いつ行っても何処か観光気分が抜けない。
「東京は嫌やな、空気が汚いし人が多過ぎる」
言われるたび、悲しい気持ちになった。
確かに排気ガスの匂いでくらくらするし、人が多過ぎる。しかし。
「そう言われても、ここで育ったし」
…としか答えようが無かった。
遊上は横浜の端っこで子供時代を過ごし、
思春期を東京の真ん中の学校で見送った。
しかも遊上には、故郷という気持ちがよくわからないのだ。
夕方、新興住宅地を歩く。
同じような家が並ぶ。
真新しい家ばかりが並ぶ。
遊上は今でも両隣の人の名前を覚えていない。
テクテク歩く。
小さい子供とよくすれ違う。
道路の両側には、まだ若い花水木が植えられている。
オパールのような夕暮れ。
薄青い空に、ピンク色の雲がたなびく。
空気がオレンジに染まる。
夕焼けは、空気中の埃が無いと見られないのだという。
だとしたら東京(及びその近郊)は、
とても綺麗な夕焼けが見られる街なのだろう。
ま、いっか。
ここより綺麗なところはたくさんある。
空気が綺麗で、空が広くて、緑に溢れて、人が多過ぎなくて。
でもここが、遊上の故郷。
遊上は浅草生まれのチロリン村育ち。
「チロリン村」とは、友人達がつけた名前だ。
あまりにも何も無いので冗談半分に付けられた。
(てことは多分、半分本気だ)
物心ついてからこの方ずっと住んでいる。
つまり生まれ故郷は浅草で、
育ったのはチロリン村ということになる。
けれど浅草に対して郷愁を感じることは無い。
祖父母は物心つく前に亡くなり、
母が昔住んでいたという家はとうに叔父の家となり。
親戚付き合いという概念そのものがとても希薄な母一族にとって、
親族の家へ遊びに行くという風習は無く。
(お陰で今に至るまで親族付き合いというものがよくわからない)
だからたまに訪れるその街は、
いつ行っても何処か観光気分が抜けない。
「東京は嫌やな、空気が汚いし人が多過ぎる」
言われるたび、悲しい気持ちになった。
確かに排気ガスの匂いでくらくらするし、人が多過ぎる。しかし。
「そう言われても、ここで育ったし」
…としか答えようが無かった。
遊上は横浜の端っこで子供時代を過ごし、
思春期を東京の真ん中の学校で見送った。
しかも遊上には、故郷という気持ちがよくわからないのだ。
夕方、新興住宅地を歩く。
同じような家が並ぶ。
真新しい家ばかりが並ぶ。
遊上は今でも両隣の人の名前を覚えていない。
テクテク歩く。
小さい子供とよくすれ違う。
道路の両側には、まだ若い花水木が植えられている。
オパールのような夕暮れ。
薄青い空に、ピンク色の雲がたなびく。
空気がオレンジに染まる。
夕焼けは、空気中の埃が無いと見られないのだという。
だとしたら東京(及びその近郊)は、
とても綺麗な夕焼けが見られる街なのだろう。
ま、いっか。
ここより綺麗なところはたくさんある。
空気が綺麗で、空が広くて、緑に溢れて、人が多過ぎなくて。
でもここが、遊上の故郷。
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