母が死んで五年経った。

悲しくても眠いしお腹は空くし。
生きる為に体が機能することを悲しく思うまい。

墓に手を合わせながら何度も腹が鳴ったのよ…トホ。
口にしまりのない女です。

mixiに入ってからそっちが楽しくなってしまって、
こちらは随分とご無沙汰です。
まあそのmixiも最近サボってますが。

mixiには色々なコミュニティがあります。
「ハワイ好き」「口のしまりがない」「ピタゴラスイッチ」等等。
取り敢えず当てはまるものがあったら片っ端から加入しております。
それで少しは自分が言い表せるのではないかと思って。

『ノーライフキング』といういとうせいこうの著作があります。
『ライフキング』というゲームが現実となり、
解かなければ死ぬという情報が小学生の間に広まるというもの。
終盤、双子の兄弟がひたすら自分たちのデータを打ち込むシーンがあって、
自分たちのことをパーセンテージで表そうとする。
コミュニティに入るたび、それを思い出します。

ま、単に楽しそうだから加入するんだけど。

自分の入ったコミュニティの一覧を見ていると、
不思議な気持ちになります。
少しは言い表せると思ったけれど全く違うような、
けれど他人から見た自分を他人の目で見ているような。

そんなことをぼんやりと口あけっぱなしで考えてみる晩秋の夜です。涎拭けよ。
 
今日も新宿は「とときち」で美味しいお魚をいただきました。
相変わらずほっけもシシャモも何でもウマー。
お肉食べたみたいな満足感。ちょっと違うか? でもそんな感じ。

多分、多分なんですが店長さんにここが分かってしまったような…。
ええとええと、人間、本当に吃驚すると固まるのね。うん。
もっとマシなこと書いてりゃ良かったと思っても後の祭りですよ。
思ったって書けやしねえんですがね。でもね。

資生堂の新製品、マキアージュを買いました。

昨日、予約していたお店から連絡がありホクホクと引取りに行きました。
くくくくく、買ってよかった…朝のお化粧タイムがちょっと嬉しいです。
レポートはまた今度。

今日はあまりに動揺した為、自分を落ち着けるべくエントリした次第です。
 

北風と太陽。

2005年7月19日 日常
言い換えると豚も煽てりゃ木に登る。

登ったとも。
エベレスト級の高さを一気に。

正面きってにっこり微笑まれて言われると、照れるんだよなあ。
「ありがとう」って優雅に微笑んで返したいものだわ。
 

ぎゃぼー!

2005年7月7日 日常
スーツスーツ!!
眼鏡眼鏡!!!!!
 
お母さんに会いたいなあ。
  

う…宇宙戦争。

2005年7月3日
何じゃあの映画は。
 
ええと…駄目だ、何も言葉が出ない。
あまりの衝撃に兎に角ファーストインプレッションを書いて落ち着こうとしてみました。無理でしたが。
生まれて初めて、観たことを後悔しそう…いや、これはこれで「近来稀に見るおバカ映画だった」と言えるようになるの…かな……。

ああ、そういえばナレーションがモーガン・フリーマンでした。
彼が出ている映画はオールオアナッシングという、遊上なりの法則が今回も当て嵌まってしまった…。

駄目だ、何書いても落ち込む。
 
 
何かあっても「LET IT BE」って言えたらいいな。
出来たらニカッ! って笑ってさ。
そんな風に出来ないこともあるって、
分かってるからこそ。

言葉が無いと伝えられないけど、
言葉だけじゃ伝わらないものはあるよ。
足りなくても伝わらないけどさ。

伝えたいことが今は伝わらないことはある。
永遠に伝わらないこともある。

それがとても悲しい時もあるし、
それが何さと思う時もある。

「ただそれだけのこと」って笑って言えたらいいのにね。
 

なでなで。

2005年6月25日 寝言
リンクして下さる方の何人かが、日記をしばらくお休みするという。

最近ではあまり日記も書かず、秘密メモも書かず、でも日記だけはこっそりと読ませて頂いているだけの遊上なので寂しいけど、仕方が無いよなあと思って居ます。

書いて少しでもすっきりするなら、誰が何を思ったって書いたらいいと思う。だってその為の日記だもの。
web上に書いているということは、誰かに指を指されることもあるということだけど、自分がそんなの関係ないって思えばそれだけのことだもの。辛いかもしれないけれど。幸い、Diary Note には秘密メモという特性もあるのだし。

だけど、書いていて悲しいなあとか苦しいなあとか、自分を好きになれないなら、書くことがちょっと疲れたなと思うなら、好きなだけ休んだらいいと思います。

上手く書けなくてごめんなさい。
もっといいことや、気の利いたことを書けたらいいけれど、それが出来ないのでモニタの向こうから頭ナデナデして、ギューってハグしたい気持ちを送ります。それはしばらくお休みする人だけじゃなくて、この日記を読んでくれた人たちに対しても。
「ちょっと疲れたなあ」って今は思っても、何時かそれを「あの時は辛かったなあ、でも今幸せだなあ」って、少しでも思える日が来ますように。

自分への祈りも込めて。
 

アーアー。

2005年6月24日 日常
アーアー。
画像表示テスト。
 

銀の音通信。

2005年6月20日 日常
オラも、オラもそこで書いてるー。
 

ニャー!

2005年6月18日 日常
…と、某所で弱音をぶちまけてしまいまして。
友人知人・見知らぬ人から頭ナデナデしてもらって同期にも愚痴って、
漸くほんのちょっと(ちょっとかよ!)元気が出てきた。

甘やかして貰えないと元気になれない31歳。
 

ENFP型。

2005年6月14日 寝言
タイプ別性格判断をやってみました。
http://www32.ocn.ne.jp/~emina/
 
型に嵌められるのは嫌うくせに、自分を表す言葉には弱いなあ。
記号だけを並べていけば、何時か自分を説明しきれるかしら。
私は誰かに自分を説明したいのかな。

うん、説明したくなるな。
だから、web日記なんて書いているんだろうな。

 
■ENFP型:余計な苦労をかってでる■

活動的、熱心、人扱いが非常にうまい、積極的、社交的といわれる。
E型、N型、F型、P型があいまって、さまざまな人や出来事や課題をーしばしば同時にー扱う並外れた能力を発揮する。

熱意を持って人生を前向きに生きているので、胸がわくわくするようなアイデアや大儀を掲げると、支援してくれる人が難なく集まってくる。

惜しむらくは、ENTP型と同じで、何かをはじめても、最後までやり遂げないことが多い、だから、カリスマ性のあるENFP型に惹かれて集まった人たちも、組織力や遂行力のなさに、次第にフラストレーションを起こす。

愛想がいい、喜ばせたがる、直感的、他人を気にするといったENFP型の性格はどちらかというと女性的される性格なので、ENFP型の男性は、ありのままに「ふるまう」と、既成の男性社会からはみだしてしまう。

皮肉なことに、それを補おうとするあまりに、かえってENFP型らしくない行動をとってしまいがちで、たとえば張り合ったり、ひどく理屈っぽくなったりする。

本当は好きでもないのに、一対一でするスポーツや「タフな」活動にのめりこみかねない。

ENFP型は人を類型化したり、「枠にはめる」のを嫌うし、自分も枠にはめられたがらない。自分の多面的な性格を好ましく思っている。

ちょっとその気になるだけで「人に合わせる」ことができるし、相手の考え方や感情に共感できるが、うっかりすると自分のアイデンティティーを失いかねない。

人の個性や問題を難なく受け入れられるすばらしい資質は、別の人には頼りになり懐が深いと見られるが、本人は自分が何物で、なにをすべきかわからなくてとまどってしまう。

ENFP型はくつろぐのが苦手である。急に思い立って何かを始め、興が乗ってくると、時間の観念がなくなり、疲れを忘れる。とことん疲れるまで熱中する。

だから、時には体調を犠牲にしてまで、休みを取らない。
 
 
 
 
■親子関係

ENFP型の親にとって、家庭はおもしろくて創造的な探求ができる遊びの場である。
家族一人ひとりの個性や違いを認めてやらねばならないと考える。家庭の雑事も遊びにして、やりがいのあるものにしようとする。

やらなければいけないことがあると、(退屈なことだったら)後回しにするか、(おもしろそうだったら)みんなでやるべきだとする。

ENFP型の家は、近所の人や友人たちのたまり場になる。

子どもがENFP型でない場合は、にぎやかな社交好きと誤解するだけでなく、そんな親の子どもっぽい行動に困惑するか反発する。

ENFP型の子どもは、親にとって楽しみだが、ときに心身ともに疲れさせる存在になることがある。

身のまわりのものはなんでも遊びの道貝になり、その日によって、なりきる人物が違う。

たとえば、立ててある掃除機をラジオのマイクロフォンに見立てて、ディスク・ジョッキーになりきる。
翌日は、木の上に小屋を作って、建築家や塗装屋やインテリア・デザイナーになる。
それを親にほめたり手伝ってほしいとせがむので、子どもは楽しく遊んでいるのだが、親にしてみればあわただしい思いをさせられる。

勉強も、ほかのことと同じで、創造的な冒険であり、うまくやれたらほめてもらいたがる。

人のご機嫌取りがうまい。教師や級友に好かれたいし、好きになりたいと思う。

ENF型なので勉強はよくできるが、おもしろいことにテスト嫌いである。
授業中はよくできるし、教科書もよく理解できる生徒でも、「正しい」答えが一つしかない客観テストを苦手とする。

そのかわり、自分の知識をまとめて書けばよい作文のテストは得意である。
 

 
熱意を持って前向きに生きたことは無いし勉強は今でも大嫌いだけど、
確かにテストは大嫌いだった。特に数学。
どうしてxyzを使えば答えが出せるのかさっぱり分からない。
そもそもどうしてその記号を使うと、
答えが導かれるようになるのか知りたい。

>やらなければいけないことがあると、(退屈なことだったら)後回しにするか、
>(おもしろそうだったら)みんなでやるべきだとする。

この括弧の部分がとても可笑しくて声に出して笑ってしまった。
友人たちが読んだら、ニヤリと笑うと思う。
情熱を持ち合わせているかは分からないけれど、
楽しい時の瞬発力だけは妙にあると思う。

これだけ楽しんでも、
違うなあと思ったり足りないと思ったりする。
でもきっと、すべてを言い表されたらきっと怖い。

ラジオから、ジャック・ジョンソンが聴こえる。
ああ、ハワイへ帰りたいなあ。
 
と「黄金の月」の歌い出し部分を書き出したものの、果たして自分が持ち合わせているのかとふと思う。情熱に尽いて。息をするしか出来ないのになとか。

今年の6月の満月は、22日だそうだ。晴れるといいが。
 

つらり。

2005年6月5日 寝言
いくら自分の周りに価値のある人が沢山居ようと、その人を持ち上げる振りをして「自分は凄い」と自分に陶酔しているのを見るのは居た堪れないものだ。それが例え、会ったことの無い人でも。会ったことの有る人に至っては「勘弁して」とのた打ち回りたくなるくらい、恥ずかしく感じる。
そういうのに限って、自分のことは卑下したりしてな。これは自分が感じることであって、他人はそうは思わないかもしれないとか前置きしてな。それで自分への矛先が逸れるとでも思ってるのかね。

いくら自分の親しい人だとて、それは自分じゃないのだ。自分がしたことではないのだ。自分が掴み取ったことだけが、全てじゃないのか。
大体、それだとて他人様に無闇に誇っていたら、唯のバカヤロ様だと遊上は思う。

本当に凄い人は、サラリとした顔で何気ない振りで、でもとんでもないことを仕出かしたり考えたりやっちゃったりしているのだ。それまた、頭抱えたくなるような突飛なことだったりして困ったり口が開きっぱなしになったりするもんですが。

本当に凄い人って書いたけど、そもそもそんな人は本当に居るのかね。と思ったり。人間の本質として。朝起きて会社行って仕事して…っていう生活をして居る人も、何もやる気がしなくぼーっと家でネットばかりして居る人も、生きているだけですげえんじゃねえのかねとかそういうことをブツブツ考え出すと止まらないそろそろ梅雨の夕暮れ。
遊上と遊上以外の人たちが同じ人ではないように、唯の個性、資質の違いでしか無いと私は思う。ただ、己と比較をしてすげえなあと思ったり馬鹿だなあと思ったりさ。そんだけなんじゃないのかねと。

他人に指差すからには、他人からも指差される覚悟があるんだろうな。
そういう遊上の背にも、誰かの指が刺さっている。きっと。
 

アスタリスク。

2005年5月31日 日常
物という存在。
何をどう使うかは、個人の自由ですな。うん。
 

悶絶。

2005年5月19日 時事ニュース
2本足で立つレッサーパンダの風太君 千葉動物公園
http://www.asahi.com/life/update/0519/004.html?ts

この微妙に前に出た頭のバランス、歩幅、前足の全てが遊上を狂わせる…ッ!
 

おめでとう!

2005年5月9日 日常
大好きな娘が内定を貰った。
直ぐに知らせてくれてありがとう。

これで皆、とうとう社会人。
 
チンコという愛称を授ける(最低)。

聖書を読んだことがある、或いはキリスト教の知識のある人だと、深く楽しめるような。つまりは西欧圏の映画だなと。そういう予備知識が割と必要な感じ。無いと、妙に勿体ぶった印象を受けるやもしれません。

キアヌはどこまでもキアヌで、どうしてもマトリックスの影響が抜けきらぬ様子。二つの世界の狭間で揺れる・ちょっとよれっとしたスーツ姿・真面目ではないが、真剣になれるといった要素満載の主人公像なのだもの。
やけに顔がのびたなあと思いつつ、そんでも彼のスーツ姿が大好きな遊上はそれを見ただけでかなり満足でした。
スーツといえば、ミカエル役のティルダ・スウィントンのスーツ姿も、とても素敵でした。最後の真っ白な衣装もかなり好きです。あの中性的な雰囲気は、彼女ならではのものなのでしょうね。ミカエルというには少し線の細い印象ではありますが、それほど気になりませんでした。

反対に、ヒロインが…ヒロインがどうも弱い。印象に残らない。
力強さを感じさせ過ぎる上に、キアヌの美しさ、ティルダ・スウィトンの優雅さに比べるとどうにも野暮ったい。
その野暮ったい存在感が人間であるということを暗喩させているとしたら、そりゃ失敗じゃないのと言いたい。銃やその他の小物(ロンギヌスの槍とか、それを包んでいた布が鍵十字の旗であるとか)や舞台設定がどうにもアニメや漫画っぽくて、あちこちのディテールが美しいだけに。2もやりそうな感じだし。
そんならヒロインも、もっと美しくてもいいじゃん! という、単に美形好きの勝手な戯言ですがね。

と、文句も垂れつつ最初から最後までびびりまくって観た誕生日でした。もっかい観たい。何とちょろい観客であることよ。
 
それにしても、エンディング・ロール中に帰ってしまう人って多いんですな。勿体無い。
エンディング・ロール中にクッキーの作り方が書いてあったロング・キス・グッドナイトや、エンディング・ロール後にも続きがあったマトリックス。それらを観た経験則から、遊上は必ず、最後まで残るようにしております。残ってまでして観るようなエピソードじゃないかもしれないけど、やっぱり最後まで楽しみたいじゃん。
 
明るくなるまで待って。
 
「何かのきっかけがないとなかなか更新しなくなってしまった」
というフリスク氏の言葉に深く首肯。

旅が癖になりそう。行く度帰る度にそう思う。

現実はといえば、旅をして生きていかれないし、癖になるほど行くことも無い。ただ、憧ればかりが募る一方だ。
その日をどう過ごすかだけを考えて暮らす日々。「帰らない」という言葉を、とても甘く感じる。帰りたいといつも何処かで願っているのに。それと同じ強さで、もう何処にも帰りたくないと思う。
旅先では、日常では使わない、感覚としか言いようの無いものが冴えきっていく。あの、体の何処かが開いていく感覚は、旅から戻った途端に消えてしまう。そんなこともあったと懐かしむだけで。その懐かしささえも、目の前の日常に霞んでいく。

癖になってしまえるほど、何処かへ行くにはあまりにも腰と体の肉が重い遊上であるのですが。肉が、この肉が!

屁理屈こねて、単にまたハワイ行きてえよとか考えているだけなんですがね。寝腐れて「あー、さんおくえん当たんねえかな」とか言ってる上に。三億円なんて言葉、実感無さ過ぎて平仮名発音になるくらい夢見る乙女遊上。好きな四字熟語は現実逃避と他力本願。三億円あったらどれくらい旅が出来るかなー(当選した気でいる模様)。

本当は生きてさえいたら、自分の気持ち次第でどうにだって生きられるのにね。日常を旅して生きることも出来るし、旅を日常として生きることさえ。
ただぼんやりと夢みたいに旅を思って生きる。それは自分で選んでいることなのに、いつも直ぐに忘れてしまう。そしてまた、旅をしたいと思いながら、思うだけの日々を送る。

次は何時旅に出よう。

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